たれ目の日乗。〜怒っても、悔しくても〜
精一杯意識すればこうして目尻の降下を抑えることはできるみたいだ。
一重の瞼も多少重力に逆らえる。
ところで、昨日私は都内某所にて非常に悔しい思いをしたのである。怒りさえも感じた。
そんな自分を俯瞰で見てみれば矢印の方向に疑問。すぐさま向きを正す。全ては自分に因がある。
五臓六腑に激痛走るその最中も、私はたれ目だ。仕方がない。右のそれも、左のそれも、たれているのだから。
先方はどう感じただろう。
へらへらしてる、とでも?
ニコニコしてる、とでも?
穏やかな奴だな、とでも?
はらわたは赫く煮え繰り返っていたのだよ。
その都内某所とは、巨大なクジラの腹の中であった。
その果てのないような煌びやかな腹部に間違って入り込んだ小魚一匹は、とても食べられるもんじゃねえなと言わんばかりの行間から、吐き出された。何度も。
すべてを聞いた。すべてをインプットした。すべて受け入れた。
そして、すべて無視しよう。
ビジネスである前に表現なのだ。創作なのだ。
絵心というのはどれだけ小さくとも、宝石である。
画商気取りや、宝石商気取りには渡さない。
私は自分のそれを、一緒に描いてゆく人たちのそれを死守と決めた。
へらへらニコニコ穏やかに、自分の海を泳ぐと決めた。
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