花の名前を知る人はどうして素敵に思えるのだろう
私は花の名前を知りたがるわりにイマイチ覚えが悪い。
その瞬間知る気はあっても、それから覚える気というのはないみたい。
花の名前を知る人はどうして素敵に思えるのだろう。
男も、女も、年齢も、みてくれも、社会的地位みたいなやつも、何もかもが関係なくて。
たとえ嫌いなやつでも、その花の名前を知っていたらこれまでの何もかもがどうでもよくなるような。
幼少期、母に一度だけカーネーションを贈ったことがある。
その次の次の日にそれは枯れていて、粗雑に扱われていたことは誰の目にも明らかな状態の無残な死であった。難儀な保護者であった。
今から数年前、そのカーネーション以来、母に花を、今回はプリザーブドフラワーを贈った。
それが届く予定日の次の次の日に母から送られてきたメールを開いてみれば、『この花は枯れないけれど母枯れる』と、一文のみ(七五調の怪)。
訳あって親と子の縁は枯れているのだが、よく考えてみればそも咲いていない。
「君という花」なんて歌が好きだったことを思い出した。
忘れてもいなかったのだけれど。
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