ピンに!? ピンで!? ひとりで僕が!? ④
サッカー選手の細かいものまねを大量生産するようになった私は、その一方でひとりコントやフリップネタもどうにかしたいと苦しみました。
あの人みたいな世界観で、あのネタをもっとこうしてああしたような感じで、俺らしく。
その「俺らしく」が、見渡しても見つからない。
ものまねをやりながらも、いわゆる本格派路線を諦めずにいたわけです。何事も諦めないことが肝心。そして、諦めが肝心なのですが。
事務所のネタ見せを通過し、ライブでやるのはサッカー選手の細かいものまねネタ。
ウケると最高なんです。とにかく、あの快楽はなににも変えられない。
人を笑わせるとは至上のものなのです。
中学の時友達に見せてたものまねでお金を稼ぐのは妙な感じがしましたが、たったあれでこんなに……とほくそ笑みました。それはもう!! ずいぶん、ほくそ笑みました。それに、ピン。いろんな意味で独り占め。
が、それで売れたわけではないのです。それで今後売れるとも思っていない。
漫才がしたい。コントがしたい。掛け合いたい。
幼馴染の助言によってピンとしての活動は若干好転するも、ネタの評価とは相反するものが心底にふつふつと煮えてくる。
あいつらみたいに、コンビで、やりたい。
もう相方はいない。であれば、新しい相方を。であれば、サッカー選手の細かいものまねをやっている俺では………この芸人と誰が一緒にやりたいよ。
コンビ解散から1年後、私は芸人を引退しました。
結果的に最後の舞台となった賞レースで、私は簡単に予選敗退を喫してしまう。
件のものまねを封印し挑んだのです。自信を持って披露したネタでした。これも少々マニアックな切り口の、でも、わからない人は置いていきますというスタンスでは決してない、バランスのとれた(自称)ネタでした。
ウケました。その手応えはありました。負けました。プロの世界です。はじめて引退の言葉脳裏をよぎり、それは波のように帰ってきた。そして、凪。
ピン芸人として生きたおよそ1年間、あるいは無様だったかもしれませんが、人としてよくやったと思っています。いえ、笑いを志した日からのことすべて、よくやった。あれ以上どうすれば。それほどにやったと、言える。ただ、ひとりってのはあんまり楽しくなかったかな。
さて、なんて感傷的で客観性に乏しい文章だろうと我ながらおもしろくないぜとつっこみたくなっています。
しかしながら、ここに書き連ねたことの時代が私を鍛えたのは事実であり、多少図々しくなったのが今良かったとも思っています。やりたいことはやった。やれることもやった。
そして、現在。ひとりでものを創り、ひとりでそれを世に出そうとする人のお手伝いを、孤独の先にあるピンスポットへのガイドを、私はしています。
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