なぜ、無名の元芸人が「笑い」の相談室を①
こんにちは、タレメーノ・カクです。
私は元芸人なわけですが、子供の頃から人を笑わせることが大好き!! おいらはひょうきんもの! というわけではありませんでした。つまり、生き抜くための手段として、人を笑わせはじめたのです。
幼少期、内気で人見知りでナヨナヨとし自分の思いを人に伝えられなかった私に、両親は手をこまねいていました。若くして人の親になったパンチパーマとソバージュの二人は、自分たちとは趣のまるでちがう我が子に落胆の表情を毎日浮かべては、罵詈雑言を、そして打擲を、そのたれ目の少年に飛ばすのです。ブラジル代表のエースがW杯の決勝でPKを外してもあんな目には合わないだろうといった具合の日々。
学校でも、声の大きな連中にかわかわれる。家に帰れば、また。
小学五年生に進級しクラス替えがありました。うるさい連中と離れられたと喜ぶ一方、またちがう誰かがうるさく僕を、そう黒い春を過ごす中、母方の祖父、最愛のその人が亡くなりました。そして、一ヶ月も経たぬうちに両親は離婚。そういえば父は、祖父の葬儀にいなかったっけ。
さて、7歳下の弟と僕は母と三人暮らしに。町内の引越しだったので学校は変わらず。これは私への配慮と当時ソバージュさんは考えたそうですが、これが私にはダメだった。
新居のアパートは見るも無惨な、◯◯荘。おじいちゃんの家に行ってもおじいちゃんはいない。胸の内を話せる友達もいない。運動神経も悪い。勉強もいまいち。書道も公文もやっていない。暴力が無くなっただけマシになったものの、家庭環境は依然最低。なんのために家にいて、なんのために学校に行くのだろう。学校は変えられない。家も親も変えられない。またからかわれる。今度はそれどころじゃ済まないはずだ。本格的にイジメられるだろう。そしたら、学校に行きたくないと言えない僕はどうすれば。言おうものなら、母は僕にあの金切り声をまた。
どこにいても楽しくない!
どこにいてもおもしろくない!
なんだこれ! 僕がなにをしたって言うんだ!
健やかな精神状態になかった10歳の脳裏に浮かんだのが、
「だったら、自分でおもしろくすればいい」
ということでした。
家にテレビはかろうじてありましたから、親の声や姿をかき消すためによく見ていたお笑い番組の芸人さんが私を動かしてくれたのです。あの人みたいに話せば、動けば、もしかしたらと。
それから、小学校を卒業するまでを過ごしたそのクラスでの2年間で、ただの一度も誰かにイジメられることはなく、からかわれたこともありませんでした。時の学級委員長が、「6年4組 お笑い四天王」なる人たちをある日の自習時間に発表したのですが、どん底にいたあのたれ目の少年も無事選出。その頃にはもう「他の3人と僕が並列なのか? ちくしょう! 意義あり!」なんて腹の底で自意識は過剰に過剰に。良し悪しなどないですが、ここまで社会性を一気に育ませたものが、人を笑わせること、笑うこと、笑ってもらうこと、だったのです。
とある行事で披露した喜劇での「エリザベス先生」役の私の女装姿はしばら校内外で話題になっていたようで、低学年の子たちには随分と道すがらイジられ(からかわれ?)ましたが。
「そうか、自分でおもしろくすればいいんだ」
この少年、どこからともなく降ってわいたその言葉を胸にそれからも生きていくわけですが、なかなかどうして人生ってやつは一筋縄ではいかない。
しかしながら、礎というものは実に強固なのです。その後も、大人になってからも、それは変わらず。
つづく。
笑いで身を護り、笑いで道を斬り拓く。
まあそんなことを、人生にひとつ、あなたもどうでしょう。てなわけなのです。
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