結局は玉が大きいか小さいかだよ

男たるもの、結局は玉だと思う。

それがデカいか、ちっこいか。それだけ。

これは相対評価で測るものではないということは付け加えておきたい。

さて、私はといえば。非常に、小さい。

無論、キャン玉の話である。

体調や気温、気分によっても変わってくるね。

そう、そういう話じゃないんだよ。

中学時代、サッカー部の合宿の入浴時に私はそれが「たれている」と指摘された。

当時ツイッターなどはなかったが、「#たれキン野郎」がその夜宿舎でバズった。

それはもう、天地がひっくり返るほどに皆が笑った。笑われた。

人をタヌキのようにいじりあげた男は、私のライバル。同じゴールキーパー。

ポジションを私から奪えない代わりに、何か大切なものを奴は奪っていった。

そう、尊厳である。

きっと、キャン玉の尊厳を、私は強奪されたのだ。

たれているのに、大きくない。小さいのに、たれている。

何らのリアクションも取れなかった玉の小さい男。

振る舞いによっては、玉の大きな男としてその後の人生を決定づけたかもしれない。

小さく、小さくなってしまった男は、それから20年経っても小さい。

そして、あいも変わらず、それはたれる。

たれるのは目だけにしておくれよ。

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